kazasiki's blog

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長時間労働は"スポーツマンシップに反する"と思ってる

昨年は電通のいざこざもあったし、最近はこんな記事も上がってるので長時間労働について個人的に思ってることを書きます。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017021502000124.htmlwww.tokyo-np.co.jp

まず、今の労基法は基本的に経営者から労働者を守る意味合いが強いルールです。なので、過労云々の話題も基本的に経営側に責任が追及されます。長時間労働云々の議論も基本的にこの観点で進められることが多いです。それはそれで妥当だと思います。

ただ、日本のような資本主義社会は個人レベルで見ても競争と金儲けの社会です。なので、出来るだけたくさん働いて競争に勝ちたい、多くの利益を得たい、社会的な評価を得たいという考えは個人レベルでも深く根付いています。単純に働くことを楽しいと感じる人もいるでしょう。別に経営者に命令されなくてもたくさん働きたい人というのはある程度は必ずいます。

じゃあ、そういう人たちが好き勝手に長時間働いていいかというとそういう訳にはいかないだろうと私は思っています。その人達が過労で死ぬ分にはその人達の勝手ですが、競争社会では、その人達の労働が長時間労働したくない人たちにも影響を及ぼします。利益を上げなければ食べていけない以上、競争相手にも同じだけかそれ以上の労働をする圧力が発生します。それは無視できないものです。

それはそれでいいじゃんということも出来るのですが、長時間労働健康被害が出やすいとされています。端的にいって人は過労で死にます。労働者に自由に働かせて競争させた結果として、過労で労働力が失われるのでは社会は成り立ちません。なので、競争には程よいルールが必要なのです。今のところ労基法にそういった意味合いはありませんが、そういう意味でも程よいルールだと思っています。(もっと厳しくてもいいくらい)

例えば、オリンピックやプロ野球の世界ではドーピングの問題がたびたび話題にされます。ドーピングとは薬物などを使用した身体機能の強化のことで、現在は禁止されています。理由は色々ありますが、最も大きいのは選手への健康被害です。たとえドーピングによってスポーツがよりエキサイティングになるとしても、健康被害があるのでは業界自体の持続性を損なう可能性が高いからです。選手に自由な競争を許しているとしても制限は必要です。たとえ個人の権利や選択肢を奪う形だったとしても。

自分が長時間労働に耐えれて、その分成果を出せて、それを楽しんでたとしても、やっぱりそれはスポーツマンシップに反するのでは?と私は思います。結局それは業界自体を壊す行為なのでは、と。

これまで書いたことは結局綺麗事で、なんだかんだ言って長時間労働することはあります。ただ、私はいちおう長時間労働で成果を上げている人たちに対して3つのポリシーを持ってます。1つめは尊敬しないこと。2つめは参考にしないこと。3つめは競わないことです。簡単に言えば、選手として認めないということです。簡単なルールですが、個人的にはこれだけ頭に入れておけばだいぶ気は楽になります。

極端な話、この社会には「業界とか知るか!あと10年間だけ死ぬ気で働けばその先遊んで暮らせる金が手に入るんだぜ!」とか言って死ぬ気で働いて本当に死んでいく人もいるのでしょう。みんな週40時間労働くらいでぼちぼちやっていきましょう。